思考整理

麻央ちゃんの死を考える

好奇心で、TENGA 買ってみました。

確かに感覚は似ているなと笑った、下級戦士ベジータです。

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後輩:「麻央ちゃん、亡くなったらしいですよ・・」

 

仕事をしていると、隣の後輩が話し掛けてきた。

 

ベジータ:「え?」

 

いつの間にか、

皆に知られ、愛される人気キャスターになっていた。

 

俺様は別に特別好きという感情は無かったが、

おしとやかでいつも笑顔を振りまく麻央ちゃんを見て、

いつの間にか、癒されていたのかもしれんな。。

 

芸能人が亡くなり、

ここまで心を揺さぶられたのは初めてかもしれん。

なんか、とてつもなく寂しい感情が絡みついてきた。

 

以前から麻央ちゃんのブログは覗いていたが、

健気に頑張っていることに安心を覚えるのと同時に、

いつかは・・・というより、いつまで・・・という気はしていた。

 

だけど、そんな様子を一切感じさせない麻央ちゃんだから、

俺様も頑張らないとな。。と少なからず元気を貰っていた。

 

そんな麻央ちゃんが急に消えた。

 

待ちゆく人とすれ違っても、電車の中での会話を聞いていても、

「麻央ちゃん」、「海老蔵」というワードが良く聞こえる日だった。

 

無くなって初めて気付くものは確かにある。

 

 

だが、この話題もあと1週間、

よくてもあと1ヶ月程度で記憶が薄れ、過去として消えていく。

 

むしろ、今日という日に、他にも人は亡くなっているわけで、

そんなことは世間一般の人は知っているけど、知らないことでもある。

そして、悲しみにふけっている間に、違う場では新たな命に喜んでいたりする。

 

だから、麻央ちゃんの死に特別な意味はない。

ただただ、残念なことではあるが、そこに感情が入ること自体、

ある意味、異常なのだ。(麻央ちゃんの凄さでもあるのだが)

 

麻央ちゃんの死が、世間一般の人に、

何か影響を与えるのか?といったら、特に何もないのだ。

(歌舞伎が好きな人ならば、海老蔵の演技に涙するぐらいだろう)

 

なのにも関わらず、心を落ち込ませるとか、

必要以上に悲しむということは、

自分の心のコントロールが出来ていない証拠。

 

これはかなり危険。

 

本当に考えなければならないことは、

自分の身近な大切な人を失うことになったら、

どういう感情を以って、どういう行動をとるか?だろう。

 

永遠に続くものなんてない。

そんなことは誰もが知っている。

 

・・・ただ、知っているけども、

そこに準備が出来ないからこそ、感情が揺れる。

 

今回は「死」という重いことではあったが、

何かを失うということは、日常の中で誰にでも起こり得ること。

 

下級戦士ベジータが彼女を失ったら・・・

彼女と結婚して、子供が出来て、その後に彼女が消えたら・・・

逆に自分が消えることになったら・・・

 

そういうことは、考えたくはないことではあるが、

今回の麻央ちゃんの悲しいニュースを聞いて、

心の隙間に、少しは準備しておく必要があるなとは感じた。

 

・・・ただ、準備と言っても、当事者となったら、

こんな冷静にブログを書いているわけにもいかないことは

重々理解しているつもりだ。

 

悲しいことではあるが、この事態は自分の一部ではない。

感情が揺れているだけで、自分の何かが失われたわけではない。

 

辛い時こそ、自分とは何か?

彼女(妻)は自分の所有物なのか?自分なのか??

勝手に、自分のモノにしていないか?

 

そこに気付けることが出来れば、

相手との接し方も変わってくるのではないかと思う。

 

人間は最初から最後まで孤独な生き物。

だからこそ、周りの人間に感謝できるのだ。

今ある全ての人間関係に感謝しつつ、自分を見つめ直したい。

 

麻央ちゃん、すんごい寂しいことではあるんだが、

今までブログ更新、お疲れ様でした。

ゆっくりと休んでください。

 

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@下級戦士ベジータ

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